八丁味噌を愛した著名人

はっとりちょうしち
服部長七

1840年(天保11年)~1919年(大正8年)。
愛知県出身。土木技術者。人造石工法(長七たたき)発案者。
緑綬褒章受章。岡崎市名誉市民。

1876年(明治9年)コンクリートが普及する前、消石灰と真砂土(花崗岩の風化した土)を混ぜ水で練った土をたたき固め、そこに花崗岩などの切り石を積み上げていく人造石工法(長七たたき)を発案しました。

1877年(明治10年)第1回内国勧業博覧会の泉水池工事を請け負った時に品川弥二郎、田中芳男の知遇を得ました。主な事業に皇居学問所、木戸孝允邸、大久保利通邸、名古屋港、広島県宇品港(現・広島港)、四日市旧港の潮吹き防波堤(国の重要文化財)など全国各地の港、堤防工事を行い、日本の近代化に大きく貢献しました。その後、時代を越えてカンボジアの世界遺産アンコール遺跡の修復に「長七たたき」が採用されました。

晩年は岡崎市の岩津天満宮の再興に力を注ぎ、中興の祖と仰がれました。

2019年(令和元年)に岡崎市のペン画家・柄澤照文氏が作成した「岡崎八丁図屏風」に、明治天皇巡幸に際して服部長七が1878年(明治11年)に築造した夫婦橋架橋工事の様子が描かれています。

当社史料室には16代早川休右エ門が服部長七宛に送った明治時代の文書の発送控えが残っています。

「田中芳男」について詳しくは「カクキューの八丁味噌を愛した著名人~田中芳男~」をご覧ください。

注)14、15、16代当主は「久」に変えて「休」を使用しておりました。詳しくは「カクキューの八丁味噌を愛した著名人~本多忠敬~」をご覧ください。

岩津天満宮の旧本殿に使用されていた人造石 画像提供:岩津天満宮

東京日本橋の服部組本店(明治10年代) 画像提供:岩津天満宮

服部長七の肖像画 画像提供:岩津天満宮

宇品での現場風景 。堤に立つ髭の人物が長七 。後ろには現地の住まいであった「日月庵」が見える。 画像提供:岩津天満宮

四日市潮吹き防波堤(国の重要文化財) 画像提供:岩津天満宮

大正8年春に 岩津天満宮で撮影された 服部長七 の写真(中央) 画像提供:岩津天満宮

PDFで詳しくみる