八丁味噌を愛した著名人

ほんだけ
本多家

~本多 忠敬~
1863年(文久3年)~1920年(大正9年)
東京都出身。子爵。宮内省式部官。貴族院議員。
本多家(通称後本多)の17代当主で徳川家臣団の中で「徳川四天王」と称された本多忠勝の直系です。

当社史料室には大正期に忠敬より送られた手紙や大正4年に開催された「徳川家康、本多忠勝両公三百年祭」の祭主を務めた時に発行された記念ハガキが残っております。

忠敬の長男で本多家18代当主である忠昭から昭和期に東京の自宅から味噌の注文を頂いた記録が残っております。

岡崎市東公園内に旧本多忠次邸があります。忠敬の次男忠次が昭和7年に東京に建てたスパニッシュ様式の洋館を移築復元したものです。

江戸時代末期、本多家15代当主忠民(岡崎藩主)に、久姫様が誕生され、藩より「久」の付く人は改名する様にお触れが出されました。その為、早川家では、14、15、16代当主が早川久右衛門を改め、早川休右衛(ェ)門と名乗りました。
岡崎市内の大林寺には16代当主早川休右ェ門と17代当主早川久右ェ門の墓が並んで祀られています。

又、当社史料館には当主が「休」を使用した時代の資料が展示されています。

今年(平成27年)は「徳川家康公顕彰四百年」という記念の年を迎え、岡崎市では多くのイベントが開催されています。

注)16、17、18代当主は「衛」に変えて「ェ」を使用。

本多忠勝像(岡崎公園)

大林寺の墓石(左17代,右16代)※手前は「久」と「休」の違いを説明した碑文

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