八丁味噌とカクキューの生い立ち

八丁味噌のはじまり

 当社カクキューの創業は江戸時代初期ですが、その歴史は戦国時代まで遡ります。
 今川義元の家臣であった早川家の先祖・早川新六郎勝久(はやかわしんろくろうかつひさ)は、永禄3(1560)年の桶狭間の戦いで今川が敗れた後、岡崎の寺へと逃れて武士をやめ、名を久右衛門(きゅうえもん)と改めました。
 久右衛門は寺で味噌造りを学び、数代の後、徳川家康公生誕の岡崎城から西へ八丁(約870m)の距離にある八丁村(現在の愛知県岡崎市八丁町)へと移り、正保2(1645)年に業として味噌造りを始めました。そして久右衛門の造る味噌は地名に由来して、いつしか「八丁味噌」と呼ばれるようになりました。

八丁味噌を育む八丁村

 八丁村の近くを流れる矢作川の上流は花崗岩質で、そこから流れてくる水は清浄で豊富、伏流水は夏も冷たく、味噌造りに最適でした。また、八丁村には慶長6(1601)年に東海道が通り、矢作川と交わる交通の要所でした。そのため原料である大豆や塩、造り上げた味噌の運搬に適していると同時に、東海道を行き交う旅人が訪れるため、味噌造りとともに商売にも適した土地でした。
 一方で、八丁村は矢作川や菅生川(乙川)、早川など多くの川に挟まれた高温多湿な土地であり、食べ物が腐りやすい環境でした。そのため、このような環境にも耐えられるように仕込み水を極限まで少なくするなど、先人が努力し試行錯誤し、固い味噌になりました。
 また八丁味噌は、温度を調整することなく八丁村の自然な気候の中でゆっくりと熟成させることにより、この地でしか生まれない奥深い味わいが生まれます。

八丁味噌とは

八丁味噌

 八丁味噌は、大豆と塩のみを原料に大きな木桶に仕込み、天然の川石を職人の手で山のように積み上げて重石とし、この八丁町(旧・八丁村)の気候風土のなかで二夏二冬(2年以上)天然醸造で熟成させて出来上がります。
 味は大豆のうま味を凝縮した濃厚なコクと少々の酸味、渋味のある独特な風味が特徴です。