1868年(慶応3年)~1948年(昭和23年)
大阪府出身。海軍軍人。政治家。男爵。
1923年(大正12年)に海軍大将となり、連合艦隊司令長官などを歴任しました。秋山真之(秋山好古は兄で陸軍大将)ら仲間とは、その後も交流を深めました。
1929年(昭和4年)に枢密顧問官兼侍従長に就任しました。後妻のタカは、昭和天皇の幼少期の教育係を勤めた人物です。
1936年(昭和11年)2月26日に二・二六事件が発生し、事件当日に侍従長官邸にいた鈴木貫太郎は襲撃を受けて重症を負いました。なお、この事件で高橋是清らが死傷しました。
1945年(昭和20年)に歴代内閣総理大臣のなかで史上最高齢の77歳で第42代内閣総理大臣に就任しました。ポツダム宣言を受諾し、第二次世界大戦を終戦へと導きました。
2024年(令和6年)、孫の鈴木道子氏(音楽評論家)が回想『祖父・鈴木貫太郎~孫娘が見た、終戦首相の素顔~』(朝日新聞出版)を刊行しました。
当社史料室には昭和時代に鈴木貫太郎に味噌をお送りした記録が残っています。
高橋是清、秋山好古について詳しくは当社ホームページの「カクキューの八丁味噌を愛した著名人」の「
高橋是清」「
秋山好古」をご覧ください。
PDFで詳しくみる