カクキューの八丁味噌を愛した著名人

さかいまごべえ
酒井孫兵衛

江戸時代から昭和時代まで8代続いた石匠。

<初代 酒井孫兵衛>
1636年(寛永13年)徳川家光公の寄進により伊賀八幡宮(愛知県岡崎市)の大造営工事が行われた時に摂津(大阪府)から岡崎に移り、神橋・鳥居(いずれも国指定重要文化財)を造りました。

<6代 酒井孫兵衛>
岡崎石匠組合副組合長を務め、岡崎石工業界の発展に寄与しました。伊賀八幡宮(岡崎市)・矢作神社(岡崎市)など県内外で造った狛犬は「孫兵衛型」と呼ばれ、評判を得ました。その結果、岡崎地方で生産された狛犬の総称は後に「三州型」と言われる様になりました。岡崎市出身の世界的地理学者・志賀重昂が「長篠・設楽原の戦い」と「アラモの戦い」が類似していることから日米両国親善の為に1914年(大正3年)に岡崎公園(岡崎市)とアラモ砦跡(アメリカ・テキサス州)に「アラモの碑」を建立しました。6代目酒井孫兵衛は国際的事業に岡崎の石工として初めて携わりました。

<8代 酒井孫兵衛>
鳥居強右衛門の墓苑(愛知県新城市新昌寺)の造成(再整備)、作曲家の宮城道雄の供養塔(愛知県刈谷市)の建立を手掛けました。

「鳥居強右衛門」・・・
1575年(天正3年)、長篠城(新城市)を巡って織田信長・徳川家康連合軍と武田勝頼軍が戦った「長篠の戦い」の際に、鳥居強右衛門は武田軍に包囲された長篠城を抜け出し、岡崎城に援軍を求めました。長篠城に戻る途中で敵方に捕らえられましたが、磔にされながらも命をかけて「援軍は来る」と大声で叫び、味方の勝利を導いた話は武士の鑑と讃えられています。

「宮城道雄」・・・
「春の海」に代表される、明治時代から昭和時代に活躍した作曲家・箏曲家。演奏旅行で夜行急行列車に乗車された折、刈谷駅の東で列車から転落死されました。

当社史料室には17代早川久右エ門宛の6代目、8代目酒井孫兵衛からいただいた大正・昭和時代の年賀状が残っています。

「志賀重昂」について詳しくは「カクキューの八丁味噌を愛した著名人~志賀重昂~」をご覧ください。

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