1863年(文久3年)~1927年(昭和2年)
愛知県岡崎市出身。
世界的地理学者・政治家・世界旅行家・ジャーナリスト。
代表作「南洋時事」「日本風景論」はベストセラーとなる。
木曽川の「日本ライン」や「恵那峡」の命名者。
札幌農学校時代(現在の北海道大学)では新渡戸稲造、内村鑑三と机を並べ交友を深めました。
岡崎市東公園内には東京の自宅を移築した南北亭・インド様式の墓・銅像・三河男児歌碑等があり、志賀の面影を偲ぶことが出来ます。
岡崎市の岡崎公園内に有る「杉浦銀蔵の碑」の碑文は志賀によるものです。
岡崎電灯創始者の杉浦銀蔵は当社と縁の深い人物です。
同じく岡崎公園内に「アラモの碑」も建立。碑文も志賀によるものです。
志賀は、大正4年に開催された「徳川家康・本多忠勝両公三百年祭」の祭典副総長を務めました。
当社史料室には明治・大正期に志賀より16代当主及び17代当主に送られた多くの手紙やハガキが残っております。また、大正期に志賀の自宅宛に八丁味噌をお送りした記録が残っています。自宅は東京の赤坂区。
明治44年にドイツのドレスデンで万国衛生博覧会が開催された際には、八丁味噌の出品に尽力いただきました。
志賀重昂 銅像(東公園)
志賀重昂 墓(東公園)
南北亭(東公園)
アラモの碑(岡崎公園
杉浦君銀蔵頌徳碑(岡崎公園)
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