1886年(明治19年)~1975年(昭和50年)
東京都出身。財界人。経営者。第2代経済団体連合会(経団連)会長。
東京帝国大学(現・東京大学)卒業後に
逓信省に入省。その後、第一生命保険社長・東京芝浦電気社長を経て、経団連会長を務めました。気骨のある人物と讃えられ、世間では「財界の総理」と評されました。
また戦後の「渋沢栄一」ともいわれた石坂泰三の生涯を小説家の城山三郎が小説「もう、きみには頼まない:石坂泰三の世界」で描いています。
「渋沢栄一」について詳しくは当社ホームページの「カクキューの八丁味噌を愛した著名人」の「
渋沢栄一」をご覧下さい。
1970年(昭和45年)大阪吹田市で大阪万国博覧会が開催されました。石坂泰三は日本万国博覧会協会会長に就任し「人類の進歩と調和」という路線を打ち出し成功に導きました。
万博のシンボルとなった太陽の塔は岡本太郎(芸術家)が製作し、大屋根は丹下健三(建築家)が設計しました。
また、黒川紀章(建築家)もユニークなパビリオンを手掛け話題を呼びました。
当社史料室には昭和時代にお客様の御用命により石坂泰三宛に味噌をお送りした記録が残っています。
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