1887年(明治20年)~1966年(昭和41年)
愛知県出身。政治家。新聞記者。岡崎市名誉市民。
1915年(大正4年)日刊新聞「岡崎朝報」の社主となりました。
「三河日報」「新三河」と並び昭和初期には岡崎市民に親しまれましたが、その後の戦時統制などにより昭和18年頃にはほとんどの郷土新聞は姿を消しました。
1921年(大正10年)から1933年(昭和8年)までの13年間「岡崎朝報」は三河全国オリンピック大会を主催し地域の文化育成に努めました。当社史料室には竹内京治から当主宛に送られた「第一回三河全国オリンピック大会」の案内状が残っています。
新聞社の経営にあたる一方で政界にも進出しました。1947年(昭和22年)第10代岡崎市長に就任し3期勤めました。戦災復興・愛知学芸大学(現・愛知教育大学)誘致・岡崎城復元などに尽力されました。
当社史料室には大正時代に竹内京治から当主宛に送られた年賀状、手紙などが残っています。
また大正時代の「岡崎朝報」や当主宛に送られた松井弘(新愛知)、小幡三郎(雷新聞)、榊原金之助(東海新聞)のハガキが残っています。
「松井弘」について詳しくは当社ホームページの「カクキューの八丁味噌を愛した著名人」の「
松井弘」をご覧ください。
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