八丁味噌を愛した著名人

きむらけ
木村家(大保堂)

木村家の先祖は全国の鋳物師支配に権限をもつ真継家の配下に属しました。1665年(寛文5年)に江州辻村(現・滋賀県)から岡崎へ進出し、鍋・釜・梵鐘などを昭和初期まで13代にわたり鋳造しました。

1820年(文政3年)に岡崎藩御用鋳物師に取り立てられ、岡崎藩の他にも田原藩・明石藩・鳥取藩などに大砲を納めました。また、内国勧業博覧会などに鍋や釜を出品し活躍しました。

1881年(明治14年)に木村善助(12代)と弟により、岡崎市上衣文町の渭信寺の梵鐘(市内最大)が鋳造されました。同寺には「衣文村渭信寺大鐘鋳造之図」や大鐘鋳造の様子を描いた絵馬が現存します。梵鐘は戦時中供出された後、無事に戻って来たことから「無事に帰る鐘」と呼ばれています。

文化勲章を受章し、岡崎市名誉市民でもある生物学者・木村資生博士〔1924年(大正13年)~1994年(平成6年)〕は、渭信寺の梵鐘を鋳造した木村善助の曾孫にあたります。ダーウィンの進化論とは違った見方で「分子進化の中立説」を提唱し、生物進化における二十世紀最大の業績と讃えられました。

当社史料館には大豆を蒸すために使用していた「三州  」の銘入りの木村善助鋳造の大釜が展示されています。また、昭和初期に木村鋳造株式会社から頂いた年賀状、案内状が残っています。

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