八丁味噌を愛した著名人

はやかわりゅうすけ
早川龍介

1853年(嘉永6年)~1933年(昭和8年)
愛知県岡崎市出身。政治家。岡崎市名誉市民。

1890年(明治23年)に第1回衆議院議員に当選し、その後、通算10回にわたり当選しました。地元においても私財を投じ地方開発に貢献しました。

漢詩、俳句、和歌、絵画、三味線、踊りなど多趣味で著書に「古今人物年表」2巻があります。当社史料室には、1910年(明治43年)川喜田達次郎出版、早川龍介編集の歌集「雲錦集」が残されています。

1915年(大正4年)大正天皇即位に際し、現岡崎市中島町(旧碧海郡六ッ美村)が大嘗祭に供納する新米を作る悠紀斎田に選ばれました。村民の希望により早川龍介は六ッ美村長となり、指導監督にあたりました。女性奉耕者の作業服は龍介が考案したものを基に作成されました。また「大嘗祭悠紀斎田御田植唄」の3番、4番を作詞しました。

「岡崎市地域交流センター 六ッ美分館 悠紀の里」の歴史民俗資料室に多くの斎田資料が展示されています。「大嘗祭悠紀斎田」は岡崎市無形民俗文化財に指定され、毎年6月に「お田植えまつり」が開催されています。

当社史料室には昭和時代に早川龍介宛に味噌をお送りした記録が多数残っています。また、早川龍介から大正時代に送られた年賀状が残っています。
早川龍介は、松村松僊(日本画家)に絵の指導を受けており、この年賀状に描かれた絵も、早川龍介自身によるものです。早川龍介の地元には多くの絵画が残されています。

※「松村松僊」は、早川龍介が議員時代に定宿としていた旅館経営者の子息で「大嘗祭悠紀斎田播種ノ図」などを描きました。詳しくは「カクキューの八丁味噌を愛した著名人~松村松僊~」をご覧ください。

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