八丁味噌を愛した著名人

うえだせきし
植田石芝

1847年(弘化4年)~1918年(大正7年)。
愛知県岡崎市出身。俳人。号は「石芝」「鋤雲居」。

1804年(文化元年)現在の愛知県岡崎市連尺で、機織り職人であった初代植田八三郎が「大賀屋」と号し、呉服商を始めました。現在も西三河地区最古の呉服屋として商いを続けています。

2代目となった石芝は、1866年(慶応2年)に19歳で俳諧を志し、内田不賢に師事しました。号「石芝」は不賢の命名です。後に、鶴田卓池の高弟である山本波文に師事しました。

1896年(明治29年)西尾に俳句結社松韻社が作られた時、「岡崎人 鋤雲居主人」の名で序を書き、その後指導にあたりました。この頃より全国的に活躍し、岡崎市では岡田撫琴(文化人)や、当社・カクキューの17代当主でもある早川久右エ門(号は「探渓」)主宰の俳句結社「江東社」の指導にあたりました。

石芝の墓は、岡崎市祐金町善立寺にあり墓碑に「肱を曲て 枕にすれば なくかはづ」の辞世の句が刻まれています。

当社史料室には、明治時代の雲雀社発行の句集や、大分県豊吟会発行の文選集、江東社の資料等が残されています。

植田石芝に関する資料や文選集、句集

<早川久右エ門(17代)>1882年(明治15年)~1941年(昭和16年)。 カクキューの17代当主。植田石芝の門人として俳句に励み、 自らは俳句結社「江東社」を主宰しました。号は「探渓」。 カクキューの「本社屋」の建設をはじめ、当社の様々な基盤作り をして活躍しました。

昭和2年に完成した本社屋。平成8年には 愛知県で初の国の登録有形文化財となった。

江東社や探渓(17代 早川久右エ門)の俳句の資料

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