八丁味噌を愛した著名人

あきづきたついちろう
秋月辰一郎

1916年(大正5年)~2005年(平成17年)
長崎市出身。医師。長崎平和推進協会顧問。

1945年(昭和20年)8月9日に原子爆弾が長崎市に投下され、爆心地からわずか1.8キロの場所にあった浦上第一病院(現・聖フランシスコ病院)で診療中に被爆。直後より長年にわたり、被爆者の診療に従事しました。
著書に「体質と食物」「死の同心図」「長崎原爆記」等があります。

当社史料室には昭和40年代に御本人から頂いた手紙が残っています。住所は長崎市。又、当社史料館では秋月辰一郎から頂いた年賀状、著書「長崎原爆記」を常設展示しています。

昭和50年頃には秋月辰一郎が当社に来社されており、旧総務部長と現19代当主が面会しました。

秋月辰一郎は原子爆弾が投下された際、焼け出された患者を治療しながら必死に働きました。秋月氏の著書「体質と食物」に下記の記述が紹介されています。

『(前略)その時私といっしょに、患者の救助、付近の人びとの治療に当たった従業員に、いわゆる原爆症が出ないのは、その原因の一つは、「わかめの味噌汁」であったと私は確信している。』

当社史料館にて秋月辰一郎から頂いた年賀状等を常設展示しております。

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