1869年(明治2年)~1954年(昭和29年)
渥美郡田原町出身(田原藩士の娘)。三河地方での女子教育の先駆者。
文部大臣表彰。岡崎市名誉市民。
夫の早世で若くして2男1女の未亡人となりましたが、上京し洋裁を学びました。小学校教師を経て、1906年(明治39年)に岡崎裁縫女学校を創設し、校長となりました。その後、校名変更により岡崎高等家政女学校長となりました。
当社史料室には、大正時代・昭和時代の名刺や年賀状、卒業証書授与式の案内状が残っています。
又、昭和時代の白井孝自身や岡崎高等家政女学校からの味噌の注文書も残されています。
PDFで詳しくみる