1884年(明治17年)~1963年(昭和38年)
東京都出身。彫刻家。
1899年(明治32年)高村光雲〔彫刻家・仏師で長男の高村光太郎は彫刻家・詩人〕に師事したのち、東京美術学校彫刻科に入学しました。
若くして頭角をあらわし活躍され、日本彫刻界の先達的な作家でした。
戦災で惜しくも過去の作品のほとんどは消失しましたが、現存の代表作には「手」「クレオパトラとカルミニヨン」などがあります。
長男は日本画家、次男は彫刻家、三男は建築デザインを手掛ける美術一家として知られています。
1950年(昭和25年)愛知県を中心に第5回国民体育大会(現・国民スポーツ大会)が開催され、岡崎公園(現・岡崎城公園)のコートでは10月28日~11月1日までバレーボール競技が開催されました。会場にはシンボルとして毛利教武の「前進」という女神像が建立されました。また同時に「国体協賛 岡崎まつり」も開催されました。
当社史料室には昭和時代に毛利教武から当主17代早川久右エ門宛にいただいた年賀状や、毛利教武の名前が掲載された愛知社の展覧会の案内状が残っています。また、第五回バレーボール大会の広告が掲載された「国体協賛 岡崎まつり」のポスターが残されています。
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