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カクキューの歴史

1560年(永禄3)桶狭間の戦いにおいて今川義元が敗れたため、
義元の家臣であった早川新六郎勝久は武士をやめて岡崎(現舳越町付近)へ落ち延びた。
その後、数代後の子孫が現在の場所へ移り味噌屋を創業。

沿革

元号 西暦  
永禄3 1560 今川義元に仕えていた早川家の先祖の新六郎勝久は桶狭間の戦いで義元の死後、武士をやめ、号を久右衛門と改める
正保2 1645 創業
宝暦11 1761 矢作橋普請御用懸役人が早川家に宿泊(以下、安政時代まで何度も)
天明年間 1780 年代 このころ江戸・日本橋に売捌所を開設。伊勢屋吉之助、三河屋又右衛門、三河屋次郎八らを通じて販売
弘化3 1846 販売量の約4分の1 を江戸へ出荷
嘉永3 1850 休右衛門、岡崎藩の御用聞三十人組を仰せつけられる。幕藩体制末期の明治初めには八人組
安政2 1855 早川家の由来を書いた「榎銘」の石碑が舳越村早川家旧屋敷に建立
安政4 1857 大樹寺普請監督の江戸役人が当社の江戸売捌所5店を「三河みやげ」に記録
明治2 1869 大豆、塩の価格著しく高騰。味噌の値上げ。
明治17 1884 不況で大豆買入量200石と史上最低
明治25 1892 宮内省へ味噌納入始まる
明治34 1901 宮内省御用達の許可(12月28日)
明治40 1907 大蔵(おおぐら=現・史料館)完成
明治44 1911 ドイツ帝国ドレスデン市の万国衛生博覧会に味噌を出品、記念碑を受賞
大正13 1924 前年度の大豆仕込量が5000石を突破したのを記念し、一大祝賀行事
昭和2 1927 現在の本社事務所が完成し、業務開始(11月)
昭和7 1932 個人商店から合資会社に変更
昭和12 1937 業務用に小型トラックを購入
昭和15 1940 統制令で休業(9月1日)。以後25年3月31日まで一般消費者用の八丁味噌製造販売は禁止
昭和16 1941 新工場が完成、操業を始める
昭和18 1943 海軍から主として潜水艦用に味噌の大量注文
昭和27 1952 統制解除後に仕込んだ最初の八丁味噌を出荷(2月8日)
昭和30 1955 名古屋に営業所開設(6月23日)
昭和32 1957 赤出し味噌 発売
昭和38 1963 社名変更/八丁味噌カクキュー合資会社
昭和43 1968 名古屋営業所を支店に(1月9日)
昭和47 1972 食品衛生優良施設として厚生労働大臣表彰(11月1日)
昭和58 1983 本格的に工場見学開始
昭和61 1986 社名変更/合資会社 八丁味噌
平成3 1991 史料館を見学客に開放(12月1日)
平成8 1996 本社事務所と蔵(現・史料館)が国の登録文化財に(12年20日)
平成11 1999 赤出し新工場完成祝賀会(4月27日)
平成17 2005 翌年のNHK朝の連続テレビ小説「純情きらり」のロケが当社蔵等を使って始まる(放映は平成18 年4 月3 日〜9 月30 日)

受賞歴

明治29年5月20日 五二会全国品評会 有功賞銅牌 審査総長=金子健太郎、品評会会頭=前田正名
明治30年5月16日 博覧会創設廿五年記念博覧会 記念状  名誉総裁=榎本武揚、名誉副総裁=山田信道、会長=三井八郎次郎
明治31年5月10日 第二回五二会全国品評会 褒状一等  審査総長=平賀義美、会頭=前田正名、総裁=佐野常民
明治34年5月10日 全国生産品博覧会 有功参等賞銅牌  会長=三井八郎次郎、総裁=高崎親章
明治35年5月11日 第二回全国生産品博覧会 褒状  会長=三井八郎次郎、総裁=大森鍾一
明治35年5月11日 第六回愛知県五二会品評会 銅牌  愛知県知事=沖守固
明治36年6月15日 名古屋物産展覧会 銅牌  第5回内国勧業博覧会名古屋共産会長=青山朗
明治41年5月10日 第五回全国生産品博覧会 銀賞  会長=三井八郎次郎 総裁=九鬼隆一
明治43年6月5日 愛知県主催第十回開催府県連合会共産会 3等賞銅牌  農相務大臣=小松原英太郎
明治44年 万国衛星博覧会 3等賞 記念碑 ドイツ帝国ドレスデン市にて
大正3年7月10日 東京大正博覧会 銀牌  総裁=載仁親王、会長=久保田政周
大正4年5月30日 広島県物産共進会 参考品として出品  広島県知事=寺田祐之
大正5年6月10日 長野市勧業協会・全国名物名産品展覧会 感謝状  長野市勧業協会長=牧野元
大正6年6月20日 松江商業会議所・各地名産品陳列会 感謝状  松江商業会議所会頭=織原万次郎